水の雑学
「お盆にお供えする水の子の由来とは?」「“立て板に水”の反対語は“横板に〇〇〇”」「地球以外にも水のある星がある?」——今月は水の雑学をお届けします。
お盆にお供えする水の子の由来とは?
お盆の時期になると、刻んだナスやキュウリ、米などをお供えする「水の子」という風習があります。お盆にはご先祖さまが帰ってくるといわれていますが、その際、ご先祖さまは家に帰れない無縁仏も連れ帰ってきます。地域によって異なりますが、水の子はそうした無縁仏へのお供えなのです。無縁仏は仏教の世界にある六道の1つ「餓鬼道」に生まれた餓鬼といわれています。餓鬼とは生前によくない行いをしたため、死後の世界で飢えや渇きに苦しんでいる者たちです。ちょっと怖いイメージがありますが、水の子は餓鬼にもご先祖さまと同様にお供えをしてお迎えしようという慈悲のあらわれなのです。
水の子の材料は、さいの目に刻んだナスとキュウリを少々、研いだ米を少々、ハスの葉を1枚と、シンプルです。これは地域によって異なり、ハスの葉の代わりにサトイモの葉を使う場合もあります。諸説ありますが、ナスは種が煩悩の数と同じ108つあるので煩悩を払うのだとか。浅めの器にハスまたはサトイモの葉を敷き、その上にナス、キュウリ、米を盛って水をひたひたに注げば水の子の完成です。
お盆にはキュウリやナスに割りばしを挿して馬や牛に見立てる精霊馬や精霊牛もお供えしますが、これはご先祖さまを送迎するための乗り物です。一方、水の子を細かく刻んで水に浸すのは、のどが細い餓鬼にも食べられるようにという優しい配慮です。お盆のお供えにも、おもてなしの心が宿っているのです。
「立て板に水」の反対語は「横板に〇〇〇」
私たちの身近にある水は、さまざまな慣用句やことわざになっています。水の性質を何かにたとえた言葉も数多くあります。わずかな努力では効果のないことを意味する「焼け石に水」は、熱々の石に水をちょっとかけてもすぐに蒸発してしまう様子がことわざになっています。「立て板に水」はよどみない弁舌を、重力でサラサラと流れ落ちていく水にたとえています。逆に、流暢でないことを意味する反対語は「横板に雨垂れ」です。
水にまつわる言葉には魚にちなんだものも少なくありません。例えば、ふさわしい場所で活躍するという意味の「水を得た魚」は、中国の歴史書『三国志』に出てくる故事成語「水魚の交わり(水と魚のように親しい間柄)」が語源といわれています。「魚心あれば水心」「水心あれば魚心」は、相手の出方次第でこちらも配慮するという打算的な駆け引きに使われることが多いようです。しかし、本来は「魚に心があるなら、水にも心がある=相手を思いやる真心があれば、相手も真心を見せてくれる」という意味です。ちなみに、男女が互いに思いを寄せ合うことを「落花流水の情」といいます。散る花は流れる水に沿っていきたいと願い、流水は花を浮かべて流れていきたいと願う、相思相愛のたとえです。愛するパートナーには打算的な駆け引きではなく、落花流水の情で接したいですね。
地球以外にも水のある星がある?
地球上にさまざまな生命が宿っているのは、海の水があるからだといわれています。月にも海と呼ばれる場所があり、古来より水があると信じられていました。けれど、実際は乾いた溶岩があるだけで、水は一滴もないことがアポロ宇宙船の調査で判明しました。無人探査機の調査では、火星にも約35億年前は巨大な海があったようです。しかし、火星は地球の半分以下しか引力がなく大気も薄いため、海の水は一滴も残っていませんでした。地球のように厚い大気層がある金星も、かつては雲から雨が降り注いで海ができているのではないかと考えられていました。しかし無人探査機の調査では、地表が超高温すぎて水蒸気もなかったそうです。
ただ、木星の衛星「エウロパ」は、氷で覆われている地表の奥が溶けて水になっているのではないか、といわれています。また、土星の衛星「タイタン」に着陸した無人探査機は、表面が濡れていたのを確認したそうです。タイタンには水ではありませんが液体メタンもしくはエタンの海があるのではないかと推察されています。土星の別の衛星「エンケラドス」の地下にも、塩水の海があるのではないかと考えられているようです。
さらに近年、太陽系から約111光年先にある系外惑星「K2-18b」に、水があることが判明しました。地球の数倍にもおよぶ大きさで、大気には水蒸気が含まれているそうです。英国の天文学者アンゲロス・シアラス氏は、大気中に水を確認できたのはこの系外惑星だけで、生命が存在する可能性も高いと語っています。水のある星を巡る調査研究はさらに続くと思われますが、あらためて、地球に水が潤沢にあることを感謝したくなりますね。