話題の温熱療法「ヒートショックプロテイン」とは?江戸幕府は混浴禁止令を出した?!廃業した銭湯がギャラリーやカフェに?!銭湯の今昔雑学をご紹介!
江戸初期の湯屋は混浴が当たり前?!
銭湯の発祥は奈良時代。寺院が庶民に沐浴させて身を清めさせる「施浴」を行ったのが原型といわれています。やがて富裕な者が近隣縁者への接待の一環として風呂に招待するようになり、さらに江戸時代になると庶民向けの湯屋が作られ、「町ごとに湯屋あり」といわれるほど広まります。
驚くかな、江戸時代の湯屋は「入(い)り込み湯」と呼ばれ、男女混浴しかありませんでした。女性は薄布を巻き、男性はふんどし姿でしたが、中には妙な気を起こす輩もいたようです。幕府は風紀上の乱れから混浴禁止令を度々出しますが、長年の風習はなかなか改まらず、江戸末期にようやく今のように浴槽の中央に男女別の間仕切りをつけた銭湯が登場しました。人気漫画『テルマエ・ロマエ』でおなじみのローマ風呂も初期の頃は男女混浴だったようですが、後に時間帯を分けて男女別に入浴していたといわれています。ローマでも江戸でも、公衆浴場は社交場の役割も果たしていたので、今よりずっとオープンだったのかもしれませんね。
昭和の名画に描かれた昭和の下町銭湯
まだ庶民の家に風呂がなかった戦後から昭和40年代にかけて、銭湯は庶民のライフスタイルに欠かせない存在でした。小津安二郎の有名な『東京物語』(昭和28年制作)でも、下町の銭湯に行くシーンがあります。物語の冒頭で、老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が尾道から長男長女を尋ねて上京してきますが、長男長女は忙しくてろくに相手もせず、老夫婦はほったらかしに…。不憫に思った長女の夫が、物干し台で退屈そうにうちわを煽いでいた義父をせめてもてなそうと、「お義父さん、風呂に行きましょう!」と誘います。タオルを片手に3人で近所の銭湯にぶらりと出かけていく姿は、まさに古き良き昭和の光景そのものです。
ちなみに当時の都内入浴料は大人15円。洗髪すると10円上乗せされました。たばこ1箱(ゴールデンバット)が30円の時代ですから、決して安い金額ではなかったはずですが、銭湯に行くことは庶民のささやかな愉しみだったのです。
熱めのお風呂で病気予防?!必殺ヒートショックプロテインとは?
最近、温熱療法の1つとして「ヒートショックプロテイン(HSP)」が注目されています。ヒートショックプロテインとはその名の通り、熱ショックによって発生するタンパク質で、傷ついた細胞の修復や免疫力を高めるナチュラル・キラー細胞の活性化に役立ちます。ストレス障害や疲労回復にも有効で、近年ではがん治療にも取り入れられています。
修文大学健康栄養学部管理栄養学科教授の伊藤要子医学博士によると、41〜42度の熱めの湯に浸かって体温が38〜38.5度位に高まると、ヒートショックプロテインが1.5〜2倍に増加したというデータもあるそう。増えたヒートショックプロテインは入浴2日目に最も増え、約1週間で消滅するので、夏でもシャワーだけで済まさず、週2回ほど湯船に浸かる習慣をつけるといいようです。銭湯ならたっぷりした熱めの湯にゆったりと浸かれるので、ストレス発散効果も一段とアップするはず!
廃業した銭湯の華麗なる変身!
昭和43年をピークに、銭湯は減少の一途をたどっています。しかし、そのどっしりと風情ある佇まいを活かして、ギャラリーや飲食店にリノベーションされている例が各地に見られます。
銭湯の脱衣所をレストランに改装した 「とんかつまい泉青山本店」の西洋館 |
東京・谷中には、創業200年の銭湯「柏湯」を改装した「SCAI THE BATHHOUSE」というギャラリーがあります。瓦屋根に煙突がそびえ、入口には古い下駄箱もあり、どこから見ても銭湯そのものなのですが、一歩入ると先鋭的な現代アート作品が展示されていて、内と外のギャップに驚かされます。 老舗「とんかつ まい泉」の青山本店も、「神宮湯」という古い銭湯の建物を改装しています。 |
レストランホールの見事な格天井(ごうてんじょう)に、その名残を見ることができます。 |
【銭湯がお洒落カフェに?! @京都】
京都の大徳寺の側には、築80年の堂々たる宮造り銭湯を改装したカフェ&ギャラリー「さらさ西陣」があります。豪奢な唐破風(からはふ)の屋根のエントランスをくぐると、艶やかな和製マジョリカタイルが全面に貼られたカフェ空間が出現。京都のお洒落カップル御用達の人気スポットになっています。
【銭湯が居酒屋に?! @愛知】
愛知県・名古屋市には、築70年の銭湯を活かした「山海百味 そら豆」という居酒屋があります。中は個室や掘りごたつのある和モダンなスタイルに改装されていますが、エントランスの雰囲気は、昭和初期のレトロな雰囲気ふんぷん。地元の有名店として毎晩にぎわっています。