夏の夕涼みに、昔ながらの銭湯でひと風呂浴びれば、日頃のストレスやうっぷんも、汗と一緒にきれいさっぱり!
銭湯は湯気抜き用に天井も高く、空気も入れ替わりやすいので、家庭風呂よりもマイナスイオンが豊富でリラクゼーションにぴったり! 銭湯の大きな浴槽に手足を思いっきり伸ばして浸かれば、身も心も解放されてリラックス効果抜群です。そこで今月は、そんな古きよき銭湯の魅力をはじめ、日本で2人しかいない銭湯絵師・中島盛夫さんのペンキ絵迫真レポートや、銭湯研究家・町田忍さんのユニークな銭湯談議まで、たっぷりお届け!今月の元気通信もアツいっ!
戦後から昭和40年代にかけて大繁盛し、最盛期には全国に2万軒以上あった銭湯も、今や往時の4分の1ほどに減少…。とはいえ、日本独特の風呂文化が息づく銭湯には、現代人の疲れた心と体を癒してくれる魅力がいっぱい!この夏は、いざ古きよき銭湯へ——
昭和8年創業の「月の湯」(東京・文京区)は、典型的な宮造りのレトロ銭湯。暖簾をくぐれば、タイムトリップしたような懐かしい昭和の景色が広がり、まさに映画のロケセットを地で行く雰囲気です。あのジャッキー・チェンもここで映画撮影してひと風呂浴びたことがあるそう。 「月の湯」はこちらから。 |
月の湯 外観 関東大震災後、宮大工が寺社を思わせる宮造りの銭湯を建てて大当たりしたことから、唐破風(からはふ)屋根を持つ宮造り銭湯が昭和40年代頃まで東京で流行しました。 |
レトロ広告&古時計 脱衣所は3階まで吹き抜けの見事な格天井(ごうてんじょう)。昭和の頃から時を刻んできた古時計や、当時のレトロな広告がそのまま残っているのも一興。 |
丸かご 脱衣所に鍵付ロッカーはなく、衣類は昔ながらの籐かごへ。荷物は番台で見張っていてくれます。ちなみに東京は丸かご、大阪は四角いかごが主流だったそう。 |
浴場の堂々たる富士山の背景画は銭湯絵の巨匠・早川利光さんの遺作。井戸水を使用したお湯の温度は熱めの42度。季節の薬湯やジェットバスなども完備。 |
洗い場の床は貴重な六角形タイル。銭湯の定番ケロリン桶は昭和38年に登場した当初は白でしたが、昭和43年に汚れが目立たない黄色になったそう。ちなみに、大阪のケロリン桶は東京よりやや小さく軽い。 |
創業時のままの鮮やかなタイル絵は九谷焼。「客よ来い」にかけた鯉の柄はタイル絵の定番でした。「月の湯」ではこの浴槽を舞台にクラシックの演奏会を行ったことも。天井が高いので音響も抜群だそう。 |
風呂上りは銭湯定番の瓶入り牛乳で至福の一杯!さらにマッサージチェアで一休みすれば夢心地。ただし眠るのはご法度です。 |
年季の入った体重計にはkgだけでなく「貫」の表示も! |
「月の湯」3代目主人 東京都 公衆浴場 文京支部 支部長 山田義雄さん 家に風呂がなかった時代、銭湯は衛生を守るのに不可欠な存在でした。戦後すぐの頃はそれこそ芋の子を洗うように銭湯が混みあっていたようです。番台には普段は女性が座りますが、子どもの頃は私も手伝わされました。番台に座ると、洗い場の奥まで見渡せるんですよ。 最近はエネルギー問題が取沙汰されていますが、銭湯を利用すると、家庭で消費される電気・ガス・水道などが節約できてエコにつながります。これを「エコセン」と呼んでいます。“月に1度はエコセン”をみなさんにおすすめすることで、少しでも温暖化防止に貢献できれば幸いです(※家庭での入浴約10回で排出されるCO2量は、杉の木1本で削減できる年間CO2量に相当します)。 |
江戸時代から10代も続く「鶴の湯」(東京・江戸川区)は、源泉かけ流しの温泉露天風呂がある珍しい銭湯です。元は荒川が流れている場所にあった銭湯を、明治の治水工事を機に移転。戦後に堀った井戸から黒湯が湧いていることを発見したものの、当時はまさか温泉とは思わず、透明になるまでろ過して使っていたそう。1996年に温泉と認定され、遠来客も訪れる天然黒湯の人気銭湯になっています。 「鶴の湯」はこちらから。
◆東京に多い黒湯温泉には美肌効果が?! 「鶴の湯」の温泉には、天然の保湿成分として知られるメタケイ酸が含まれています。弱アルカリ性でとろりとした濃い茶色のお湯に浸かると、湯上りは肌がしっとりつるつるに。東京にはこうした黒湯の温泉が多く、古くから美肌の湯として愛されています。 ◆熱い湯で心身がシャキッ。ダイエット効果も?! 子どもの頃から銭湯に入っている「鶴の湯」10代目主人の中島正悟さんは「お湯が42度と熱いので長湯せず、風呂はいつも数分で済ませますよ」とのこと。実際、熱い湯に数分間浸かると、交感神経が刺激されて心身がシャキッとします。ちなみに熱めの湯に10分間入浴すると、10分のジョギングに匹敵するカロリー(約80kcal)が消費されますが、体力も消耗するので、数分毎に休憩しながら入浴するようにしましょう。 |
日本独特の風呂文化を古代ローマ人の目線で取り上げた漫画『テルマエ・ロマエ』が大ヒットし、古きよき銭湯の魅力が見直されつつあります。六本木ヒルズの高層階にあるGoogle日本支社でも、コミュニケーションの活性化を図るために銭湯に見立てた待ち合わせスペースを設けるなど、今や銭湯はグローバルの第一線でも人気者なのです。
そんな銭湯にかかせないのが富士山などのペンキ絵。昭和30年代には東京近辺に数十人はいた専門の銭湯絵師も、今では日本に2人だけに。その1人、中島盛夫さんが実際の銭湯にペンキ絵を描く様子をご紹介します。珍しい立山連峰のペンキ絵ができあがっていく様子をとくとご覧ください!
中島さんが今回描いたのは、東京都・練馬区に大正時代からある銭湯「豊宏湯」の銭湯絵。通常は元絵に上描きしますが、この日は新しいトタンを貼って描きました。男湯では定番の富士山を2〜3時間で完成させた中島さん。「女湯は何を描くかなあ」とつぶやきつつ、まずは得意のローラーで青空を塗り始めました。 |
軽業師のような身のこなしで青空の下に白い雲……と思いきや、どうやら雪に覆われた立山連峰のようです。 |
写真など一切見ず、筆致に迷いがありません。いわく「風景は心の中にあるイメージで描くんだよ」 |
中島盛夫さんの道具
使用するペンキは、白、青、赤、黄の4色のみ。中島さんはこれをチリトリを利用したパレット上で混ぜ合わせ、多彩な色を作っていきます。「一番使うのは白ペンキだな。空や水の青さも白で調整していくからね」 |
中島さんの銭湯絵サポーターも駆けつけて仕事を手伝ってくれます。 |
木々の緑や白波などを丹念に描きこんだ絵に、茶色い松の幹が出現! |
堂々たる松の大木の下に日付とサインを入れたらできあがり! 男湯に富士山、女湯に立山連峰という夢のようなペンキ画が完成!「今日のできばえは120点だね」と汗を拭き拭き微笑む中島さん。お疲れさまでした! |
中島さんが描いた富士山と立山連峰のペンキ絵は「豊宏湯」でお楽しみいただけます。 豊宏湯:東京都練馬区石神井町3-14-8 電話番号:03-3996-8650 営業時間:15:30〜24:00/定休日 木曜 |
終戦の年に福島県相馬郡飯舘村で生まれた中島盛夫さん。「福島から上京したのは東京オリンピックのあった年。たまたま入った墨田区の銭湯で、富士山のペンキ絵を見て驚いちゃってね。福島にはそんなのなかったからさ。自分も描きたい!って、この世界に飛び込んだんだよ」 若い頃は背景画師の故・丸山喜久男氏に師事し、約半世紀近くペンキ絵一筋で身を立ててきた中島さん。 ローラーによる大胆なペイント法を考案し、制作時間の短縮化にも貢献しました。最近では、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の公開イベントで銭湯の壁に東京タワーを描いたり、Google日本支社の待ち合わせスペースの壁面に富士山を描くなど、幅広いフィールドで活躍しています。 公式webサイトはこちら |
【プロフィール】庶民文化研究家 町田忍さん 1950年東京都出身。和光大学人文学部芸術学科卒業。警視庁警察官勤務を経て、庶民文化の風俗意匠を独自に研究。約30年かけて全国3000軒以上の銭湯を探訪。『ザ・東京銭湯』『銭湯の謎』『風呂屋の富士山』など銭湯関連著書も多数。(社)日本銭湯文化協会理事、庶民文化研究所所長、浅草資料館「30坪の秘密基地」名誉館長。 公式webサイトはこちら
ペンキ絵の発祥は大正元年。東京の神田にあった銭湯「キカイ湯」の主人が子どもたちに喜んでもらうため、画家の川越広四郎氏に浴室の板壁の絵を依頼したのが始まりです。静岡出身の川越氏が富士山の絵を描いて評判を呼んだことから、東京を中心とした地域に広まりました。
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昔ながらの銭湯はやはり趣きがあって、お風呂好きの日本人にはたまらないものがありますね。東京都公衆浴場業生活衛生同業組合では、今年6月から「江戸湯屋めぐりスタンプラリー」をスタート。都内にある異なる10軒の銭湯に入ってスタンプを集めると、特製ストラップがもらえるそうです(11月末まで実施中)。夕涼みがてら、いろいろな銭湯をめぐってみてはいかがでしょう。
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