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生薬ものしり事典88 寒い季節に小花を咲かせる「ビワ」


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「枇杷葉湯」は江戸の風物詩

1月はお正月を中心におめでたい植物を飾ることが多いですが、花の数が1年で1番少ない時季なので、植物の種類は限られています。
ビワはそんな寒い時季に花を咲かせてくれる貴重な植物です。ビワの花は一見するとあまり目立たず寂しい印象ですが、暖かそうな綿毛に包まれた小さな花には風情があります。12月頃から枝の先に白色五弁の小花をたくさん付け、花の色が白から黄みを帯びてくるにしたがって、香りが徐々に強くなってきます。
植物図鑑によるとビワはバラ科の植物で、日本では四国、九州の石灰岩地帯に野生しています。常緑性の高木で、高さ10m前後、枝は開出し、樹冠は円形となります。葉は互い違いに生えており、楕円(だえん)形です。葉の表面は暗緑色ではじめは有毛ですが、後に無毛となり、多少光沢があります。花が咲いた後、夏に球形の果実が熟します。


ビワ


ビワというと果実を連想しやすいように、6世紀には果実として中国南西部で生産されていたという記録があるようです。日本では10世紀に編まれた『日本三大実録』に、元慶(がんぎょう)7年(883年)、陽成天皇がビワを下賜したという記録が残っているので、この頃に中国から渡来したものと考えられます。ただ、その頃のビワの果実は現在のビワの果実と違い、劣悪品種だったと思われ、食用のビワは江戸時代に長崎を経て伝えられた「茂木ビワ」が最初とされています。
明治以降に品種改良が進み、「田中」「茂木」「長崎早生」「楠(くすのき)」「野島早生」「大房(おおぶさ)」など多くの種類が生まれました。


ビワが詩歌の歌題に登場するのは江戸時代からですが、明治時代以降に多く詠まれるようになりました。


冬の日の 暮るゝは早し 枇杷(ビワ)の花 ただあはつけく 眼にとまるかな

土田 耕平

枇杷の花 大やうにして 淋しけれ

高浜 虚子

雪嶺より 来る風に耐へ 枇杷の花

福田 甲子雄


植物名の由来について、牧野富太郎博士は「楽器の琵琶に似ているので名付けたとされるが、葉形か果実の形のいずれが似ているかハッキリしない」と述べています。
漢名は「枇杷」で、別名は「蘆橘(ろきつ)」などが知られています。
学名はEriobotrya japonicaで、属名はerion(羊毛)+botrys(ぶどうの房)の合成語で、表面が白い軟毛に覆われた果実が房になっていることに由来。
種小名は日本に産するという意味です。


ビワの木は粘り強く弾力性があるので、昔から「柿の木から落ちると死ぬが、ビワの木から落ちても死なない」といわれています。ビワの木で作った木刀は最上のものとされ、農具の柄などにも利用されています。


葉は生薬名を「枇杷葉」といい、主にあせもや打ち身、ねんざ、暑気あたり、胃腸病に利用されます。
薬用で最も有名な「枇杷葉湯」は、ビワの葉に肉桂(にっけい)や甘茶、莪蒁(がじゅつ)などを細かく切って煎じた液のことです。薬売りが「疫痢(えきり)を防ぎ、暑気払いの効果がある」といって「枇杷葉湯」を売り歩く姿は、江戸時代の夏の風物詩だったようです。


果実は食用には生食のほか、ゼリー、ジャムなどに加工されます。また、果実酒にして疲労回復、食欲増進にも利用されています。


「ビワを庭に植えると病人が出る」という迷信を口にする人がいますが、その由来はビワがよく茂るので、狭い庭に植えると日当たりや風通しが悪くなるからなのだとか。
花言葉は「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」などです。


出典:牧幸男『植物楽趣』