「枇杷葉湯」は江戸の風物詩 |
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1月はお正月を中心におめでたい植物を飾ることが多いですが、花の数が1年で1番少ない時季なので、植物の種類は限られています。
ビワというと果実を連想しやすいように、6世紀には果実として中国南西部で生産されていたという記録があるようです。日本では10世紀に編まれた『日本三大実録』に、元慶(がんぎょう)7年(883年)、陽成天皇がビワを下賜したという記録が残っているので、この頃に中国から渡来したものと考えられます。ただ、その頃のビワの果実は現在のビワの果実と違い、劣悪品種だったと思われ、食用のビワは江戸時代に長崎を経て伝えられた「茂木ビワ」が最初とされています。
ビワが詩歌の歌題に登場するのは江戸時代からですが、明治時代以降に多く詠まれるようになりました。
冬の日の 暮るゝは早し 枇杷(ビワ)の花 ただあはつけく 眼にとまるかな 枇杷の花 大やうにして 淋しけれ 雪嶺より 来る風に耐へ 枇杷の花
植物名の由来について、牧野富太郎博士は「楽器の琵琶に似ているので名付けたとされるが、葉形か果実の形のいずれが似ているかハッキリしない」と述べています。 ビワの木は粘り強く弾力性があるので、昔から「柿の木から落ちると死ぬが、ビワの木から落ちても死なない」といわれています。ビワの木で作った木刀は最上のものとされ、農具の柄などにも利用されています。
葉は生薬名を「枇杷葉」といい、主にあせもや打ち身、ねんざ、暑気あたり、胃腸病に利用されます。 果実は食用には生食のほか、ゼリー、ジャムなどに加工されます。また、果実酒にして疲労回復、食欲増進にも利用されています。
「ビワを庭に植えると病人が出る」という迷信を口にする人がいますが、その由来はビワがよく茂るので、狭い庭に植えると日当たりや風通しが悪くなるからなのだとか。 出典:牧幸男『植物楽趣』 |