icon_world_mini 世界各国の薬酒

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数多い中国の薬酒

中国の薬酒の歴史を見ると、古代中国の歴史書『史記』の中にその記載があります。史記の『列伝第四十五扁鵲 (へんじゃく)倉公』の中に、「戦国時代の名医扁鵲は治療にあたって薬酒を用いた」とあり、中国でもかなり古くから用いられていたことがわかります。さらに今から2000年ほど前の漢の時代、中国全域の医薬術の経験が集大成され、一つの医学として体系化されました。これが「中医学」ですが、その古典の一つに『神農本草経』という書物があります。

その中に「薬物には煎じてよろしきもの、丸にしてよろしきもの、酒に浸して(薬酒にして)よろしきものあり…。それぞれの性質を活かして用いよ」とあり、薬酒が漢方の内用薬の一つとして、その成立当時から用いられていたことを伝えています。

このため、中国の薬酒は種類 が多く、16世紀末に著された『本草網目』という薬物書には69種の薬酒名が挙げられています。しかし、これらは薬草1種類だけで造られる単味のもので、2種以上の薬物を組み合わせて造られる薬酒は数え切れないと記されていて、現在でも1000種もの薬酒が飲まれているといわれています。

薬酒なるほどMEMO

合薬(あいぐすり)
古代中国の神仙思想による不老不死のための薬。秦の始皇帝は仕人の徐福に命じてこの不死薬を東方に探させたといわれる(徐福はその薬を求めて日本に渡来したという話があり、和歌山県新宮市にその墓碑がある)。後の漢の時代には仙薬は人間の手で創出しようと多くの試みがなされ、薬酒も数多く造られた。

西洋における薬酒

西洋の場合も東洋と同様に薬酒の歴史は古く、ローマ時代(1世紀)の有名な医者であり薬草学者であったディオスコリデスが残した『薬物誌』には57種類の薬酒が記載されています。しかし、盛んになったのは中世になってからで、当時流行していた錬金術の手法を薬酒造りに応用して、強壮剤や不老不死薬を造り出そうと多くの試みがなされました。

その拠点の一つに修道院がありました。当時、修道院は院内で酒を造ったり飲んだりすることはご法度ではなく、むしろ優れた酒を造り出すことが誇りでもありました。そうした中で僧侶たちは自らの体力増強や信者の福祉を目的に、薬酒やリキュールを造るようになったといわれています。

また18世紀になると、イタリアを中心にワインに薬草や香料を加えた「ベルモット」が造られました。ベルモットは食欲を増すための食前酒として親しまれていて、薬酒の一種に加えることができますが、この頃から香りを強調した嗜好性の強い飲み物へと分化していくものも多くありました。

薬酒なるほどMEMO

草根木皮(そうこんもくひ)
生薬(薬草類)のこと。生薬の多くが草の根や木の皮を用いていることによる。古く東洋においても西洋においても薬はすべて生薬であった。後世西洋では生薬の中から薬効成分だけを取り出す研究が進み、東洋では生薬そのものが有効成分と考えた。その結果、西洋方式は医学の近代化と普遍化をもたらし、東洋方式は自然性(安全性)を残した。
ドーピング(Doping)
競技前に選手や競走馬が違法に筋肉増強剤や興奮剤などを用いること。アフリカ南東部の部族が祭りのとき、気分を盛り上げるために飲んだ酒“Dop”にちなんでこの名がある。一種の蒸留酒といわれるが、そうした薬草も入っていたのではと思われる。

日本における薬酒

日本においても薬酒の歴史は古く、奈良の東大寺正倉院に伝わる文章の一つに「写経生は終日机に向かっており胸が痛み脚がしびれるので2日に一度は薬の酒を飲ませてほしい」と書かれています。この文章は天平11年(739年)頃書かれたもので、当時すでに「薬の酒」があったことを伝えています。また古くからの薬酒として、正月に飲まれることで知られる「屠蘇(とそ)酒」があります。

屠蘇酒は中国後漢時代の華陀(かだ)という名医によって創製され、漢方とともにわが国に伝えられた薬酒で、古書には「元旦にこれを飲めば一切の病疫や邪気 を払い除く。一家全員東を向き、年少者から順に飲む」とあります。

わが国では弘仁2年(811年)に宮中で用いられたのが始まりとされ、その後庶民の間にも広まり、一年の無病息災を願う正月の習慣として、今日に伝えられています。

薬酒なるほどMEMO

寝正月
元旦や新年の休みを寝て過ごすこと。また新年を病気で寝ていた場合、縁起をかついでいう。 こんなことのないよう一年の無病息災を願って飲む薬酒に「屠蘇酒」があるが「淑柏酒」というものもある。大晦日の夜、山椒(サンショウ)の実21粒と東側を向いていた柏(カシワ)の葉7枚を約 1.8L の酒に浸して造る。

日本独特の薬酒も

やがて漢方が日本の医学として定着するにつれて、薬酒も多用されるようになり、漢方書に基づく薬酒や日本の風土に合わせた独自の薬酒が各地で数多く造られました。江戸時代中期に刊行された図説百科事典『和漢三才図会』には「現在飲まれている薬酒は『本草綱目』に記載されているものが多いが、わが国古くからのものも少なくない。紀州勢州の忍冬酒、賀州肥後州の菊酒、南都の霙酒、浅芽酒などが有名だが、そのほか数えたら枚挙にいとまがない」と書かれています。

また天明5年(1785年)に作られた長唄『春昔由縁英(はるはむかしゆかりのはなぶさ)』の一節には「濡れていよとの霙酒アゝまゝよいっそ伊丹の濁り酒末は諸白諸共に千年不老酒養命酒…」と養命酒の名が見えます。

養命酒については、江戸後期の儒学者松崎慊堂の『慊堂日暦』の中(文政9年<1826 年>9月3日)にも登場しています。

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左利き
酒が好きで強い人の俗称。語源については左手で猪口(ちょこ)を持つからとか。左甚五郎が酒に強かったからとの説があるが、これは間違い。左酒右漿(おもゆ)といって祭壇や食卓に酒を左に漿を右に置くしきたりからきたと解釈されている。薬酒の場合、これはもっぱら健康のためであるから、左利きは適用外。

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