「懐かしいなぁ…」と昔の楽しかった思い出に浸ると、心がほっと落ち着きませんか?実は、過去を回想することによって、精神安定や認知機能の改善が期待できるといわれています。今月は、懐かしいものに接することで脳の健康に役立てる「回想法」についてご紹介!見るだけで懐かしさあふれる昭和レトロな団地が再現された松戸市立博物館のレポートも!
昔のことを思い出したり、語り合うことで、精神安定が期待できる「回想法」ってご存知ですか?
「回想法」は1960年代にアメリカの精神科医ロバート・バトラー氏が提唱した心理療法が元になっており、認知症やうつ病、記憶障害の症状改善にも役立てられています。この回想法を実践されている大浦敬子先生にお話を伺いました。
久留米大学医学部、熊本大学大学院医学研究科博士課程修了。医療法人社団大浦会を中心とした医療・介護・福祉共同体である「ピュア・サポートグループ」代表。回想法による介護施設「おとなの学校」を展開。『なぜ、「回想療法」が認知症に効くのか』(祥伝社新書)などの著書(旧姓・小山敬子で執筆)がある。
過去を懐かしむことが心にいいって本当?
「箸が転んでもおかしい」といわれるように、若い頃は心の動きが活発で、新しいこともどんどん吸収できます。しかし、加齢とともに心は動きにくくなり、新しいことが段々認知できなくなってきます。とはいえ、年齢を経ても過去のことは覚えているので、何か古いものに触れて「ああ、懐かしいなぁ!」と昔の感情が蘇って心が動くと、脳は活性化するのです。すると、脳の血流がアップして、認知機能も高まります。
老いも若きも、思い出す癖をつけよう!
「昔よくうちに遊びに来ていた子、誰だっけ?」「あの子ね!えっと名前なんだっけ…」——こうしたもの忘れは、高齢者に限ったことではありません。そんな時、「アーちゃんでもなく、イーちゃんでもなく…そうだ、エッちゃんだ!」などと自力で思い出すようにすると、脳に新しい神経ができて、切れていた記憶の回路がつながります。年齢にかかわらず、ど忘れしても“記憶の筋トレ”をするように、必ず自力で思い出すようにしましょう。
思い出して「胸キュン」になるアイテムがおすすめ!
過去を回想する際は、昔よく使っていた古いモノや懐かしい雑誌など、思い出探しのきっかけになるものが役立ちます。中でも、青春時代に愛聴した曲や、昔大流行した映画など、当時を思い出して胸が「キュン」とするような音楽や映像がおすすめです。そうしたアイテムを常に身近に置いたり、あらためて視聴してみたり、日々懐かしいものに触れて回想する習慣をつけると、心も若返ります。
世代を超えた会話で思い出話を盛り上げよう
例えば家族のアルバムを見ながら、子どもや孫が、「おじいちゃん、これはどこに行った時?この車、カッコいいね!」「これはおばあちゃんの学生時代?カワイイね!この服は流行だったの?」などといろいろ尋ねてみるのがいいでしょう。昔の話題で会話が盛り上がることで、高齢者が精神的に元気になるのはもちろん、世代を超えて記憶を共有するいい機会になります。
悲しい思い出もOK?
人生は楽しい思い出ばかりとは限りません。あれこれ回想するうちに、悲しいことや辛いことを思い出してしまったら、そのまま泣いてしまいましょう。涙を流すことでカタルシスが得られてスッキリします。もし回想しながら泣き出してしまっても、ムリに止めてはいけません。泣きたいだけ泣かせてあげると、ほどなくして自然に落ち着きます。
「回想法」で、高齢者の認知力がアップ!
回想法をベースとした高齢者向けの「おとなの学校」の教室には黒板や時間割があり、チャイムが鳴ると、国語・算数・理科・社会などと書かれた教科書を開いて授業が行われます。徘徊が見られる認知症の高齢者でも、教室や教科書という懐かしい状況に置かれると、小中学生のように着席してちゃんと授業を受けるそうです。脳が器質的に変わるわけではありませんが、要介護度4の認知症の方が、授業を受けることで認知力が上がり、要介護度2に下がった事例もあるそうです。
高度成長期の昭和30年代には、都市の近郊に多くの団地が誕生しました。千葉県の「松戸市立博物館」には、当時の団地が見事に再現された展示があり、懐かしいレトロアイテムの宝庫として知られています。展示写真を見ながら、ぜひ戦後の日本のノスタルジックワールドに迷い込み、めくるめく思い出探しのきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
松戸市立博物館
千葉県松戸市千駄堀671 Tel.047-384-8181
http://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse/
昭和35 年(1960年)に入居を開始した千葉県松戸市の「常盤平団地」が、当時の雰囲気のままに再現されています。当時は団地を舞台にした映画も多く、団地のある風景は高度成長期の日本の都市圏の原風景ともいえます。
当時、常盤平団地などに入居したのは、東京中心部に勤務する月収3〜4万円の比較的高収入の20〜30代のサラリーマン世帯だったそう。その世代も今や70代以上。彼らの孫世代にとっては、「懐かしいおじいちゃんとおばあちゃんの家」。世代をまたぐノスタルジーが交錯します。
戦後住居のスタンダードとなるモダンな2DKのリビング。畳の和室にカーペットや応接セットなどを取り入れた6畳間のインテリアに、洋風ライフに憧れた当時の感覚が凝縮されています。
ブラウン管の白黒テレビは富士通製。大きなステレオは日本コロムビア製。電気スタンドの足は、当時流行した酒瓶をリサイクルしたDIY。壁の額縁も、当時流行した東郷青児のビーズ絵。
“ザ・昭和”を象徴する黒電話や、リビングに隣接する4畳半に置かれた足踏みミシン、東芝製の掃除機も当時ならでは。平成生まれの孫に祖父母が伝えるポイント満載かもしれません
女性の家事労働軽減を狙ったダイニングキッチンは、和室のちゃぶ台で食事をする概念を覆しました。鉄パイプにメラミン化粧板を載せた「デコラ」と呼ばれる天板は当時の定番。電気釜(写真は東芝製)も昭和30年代に急速に普及。「これ、うちにもあった!」という方も多いのでは?
ガス台と調理台の間に置かれたステンレススチールの流しは、当時の女性にも大人気。シンク台には日本住宅公団のプレートが。
電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビが「三種の神器」といわれた昭和30年代。ドアノブが栓抜きにもなるこの冷蔵庫は松下電器産業製です。隣にあるのは、食事に蝿がたからないように窓が網状になった「蝿帳(はいちょう)」。
木製のガス風呂がなんともレトロですが、銭湯が主流だった時代にはとても優雅だったのです。
洗濯物が干されたベランダ越しの昭和な眺め。老いも若きも不思議と郷愁を覚えてしまう魅惑の昭和レトロワールドをきっかけに、ジーンと独り回想に耽るもよし、世代を超えて会話を弾ませるもよし。
「過去は振り返らない」という人がいますが、回想は心の若返りや脳の認知力アップにつながります。
ぜひ毎日過去を懐かしむ時間を設けて、記憶の筋トレをしましょう。
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