100年の歩み
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1946年(昭和21年)
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塩沢正治社長(第5代)就任
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1949年(昭和24年)
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焼酎「天龍誉」を、長野県南信地区を中心に販売
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東京都渋谷区上通4丁目37番地(現:本店所在地の渋谷区南平台町)に株式会社天龍館東京支店を再設
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1950年(昭和25年)
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戦中戦後の混乱が収まるに従い、需要が急速に増加
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1951年(昭和26年)
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宮下直雄会長就任、塩沢友茂社長(第6代)就任
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諏訪市の向陽興業(株)を買収して天龍酒造株式会社を設立。原料用アルコールの合理的供給を図る
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長野県諏訪郡川岸村(現:岡谷市川岸)に新工場を建設
天竜川のほとりに位置した第二工場
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本店工場を第一工場、新工場を第二工場とする
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商号を株式会社天龍館から養命酒製造株式会社に変更
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1952年(昭和27年)
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赤穂営業所を閉鎖し、瓶詰設備を第二工場に移転
同地に赤穂味噌製造株式会社を設立 -
会社創立30周年記念式典を第二工場において挙行
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お客様の声を聞きたくて
古い消費者はがき
薬用養命酒の箱の中には、当社お客様相談室行きの「はがき」が入っています。
お客様からのご質問、ご相談、ご意見等をお聞きするための「はがき」ですが、お客様相談室の前身となる専門部署を作り、社内体制を整えたのが、昭和27年でした。
「はがき」自体は、それ以前から箱に入れていたようで、お客様に向けた「本舗の赤心」という製品に添付した小文が残っています。
「……未だに気の付かぬ不備の点がある事と存じますので御愛飲下さいました皆々様より御遠慮なく御批判御気付きの点を同函中のハガキにて進んで御申越しの程を御願い致します。充分検討して御期待に副いますよう尽力致す覚悟で御座います」
「本舗」というのは、養命酒本舗のことで、株式会社天龍館のいわば東京の拠点、養命酒の瓶詰めと販売をしておりました。昭和10年から昭和18年まで、養命酒本舗(昭和10年から12年)、養命酒本舗天龍館(昭和12年から18年)を名乗っていましたので、その頃の小文だと思われます。会社100年の歴史の中で、初期の段階から、お客様の声を大切にしたいとの思いがあったことがうかがわれます。
お客様相談室には、現在、年間3万枚以上の「はがき」が寄せられます。「養命酒のおかげで…」といったお礼のお言葉をいただくことも多く、うれしい瞬間ですが、「祖母も母も飲んでいます」などの親子三代にわたってのお客様に接すると、うれしさとともに、会社の歴史を感じます。
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1953年(昭和28年)
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養命酒製造株式会社、天龍酒造株式会社を合併
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大野善久会長就任、塩沢友茂社長就任
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京都府宇治市に関西支店開設
関西支店
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1955年(昭和30年)
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東京証券取引所に上場
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塩沢総社長(第7代)就任
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1956年(昭和31年)
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本店所在地を長野県上伊那郡南向村大草から東京都渋谷区上通4丁目37番地
(現:本店所在地 渋谷区南平台町)に移転。従来の本店は第一工場となる -
養命酒の生産機能を第二工場に統合
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1957年(昭和32年)
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ライナービア株式会社(本店:東京都中央区日本橋本町1丁目1番地、工場:埼玉県浦和市上木崎)設立
ライナービア(発泡酒)を、関東地区を中心に発売 -
福岡市馬屋谷に福岡出張所を開設、同年12月に福岡市薬院大通に移転し、福岡営業所となる
福岡営業所
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いろいろやっているのです
ライナービア(発泡酒)
当社は、養命酒だけの会社と思われがちです。確かに、会社100年の歴史を支えてきたのは、養命酒であることに間違いはありません。しかし、会社100年を振り返りますと、さまざまな商品を見ることができます。
天龍誉(焼酎 1949年)、ライナービア(発泡酒 1957年)、バイカル(リキュール類 1961年)、山路の香(みりん粕漬 1966年)といった商品は、残念ながら長い年月のなかで消えていきましたが、1982年発売の家醸本みりんは、養命酒の原酒造りの手法が活かされた高品質の本みりんとして、ロングセラー商品となっています。これらの商品を手掛けた経験は、近年の、ハーブの恵み(リキュール 2010年)やフルーツとハーブのお酒(リキュール 2013年)、クラフトジン(ジン 2019年)等の酒類、グミ×サプリ(2016年)、養命酒製造のど飴(2018年)等の食品類の開発、販売に活かされています。SNSで話題になるもの(フルーツとハーブのお酒)、国際品評会で評価されるもの(クラフトジン)など、徐々にではありますが、養命酒以外の当社商品として知名度を上げるものもでてきています。
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1958年(昭和33年)
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仙台市新川原町に仙台出張所を開設
仙台出張所
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1960年(昭和35年)
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加藤清隆会長就任
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1961年(昭和36年)
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第二工場にて強酒精酒(ウォッカ、ジン)およびリキュール(ベネジクチン、
キュラソー)を製造
商標名「バイカル」で販売 -
埼玉県入間郡鶴ヶ島村に新工場竣工。名称を第三工場とする
新第三工場
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1962年(昭和37年)
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名古屋市中区広小路通4丁目東鮓本店ビル内に名古屋出張所を開設
名古屋出張所
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新第二工場竣工に伴い、新工場竣工・会社創立40周年記念式典を挙行
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1963年(昭和38年)
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関西支店を京都市伏見区に移転。ブドウ糖は第三工場で製造することに
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ブドウ糖原料澱粉の合理的供給を図るため、鹿児島県国分市敷根の澱粉工場を譲り受け、敷根産業株式会社を設立
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1964年(昭和39年)
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沖縄向け養命酒、輸出により再開
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第二工場に技術研究所を設ける
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1965年(昭和40年)
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ライナービア株式会社を武蔵産業株式会社に社名変更
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養命酒、南極へ行く
南極の石
養命酒は、昭和40年11月、第7次南極観測隊とともに南極へ渡ることとなりました。これは、観測隊の隊長や南極観測船「ふじ」の船長が養命酒のファンであることを知り、大瓶6ダースを寄贈したことによるものです。観測隊40名(そのうち越冬隊18名)の健康を願ってのことでした。その後、第8次、第9次、第10次と養命酒は、観測隊のお供をすることになります。第9次、10次は、養命酒の他に「山路の香」(みりん粕漬)もお供に加わっています。第9次の越冬隊は、日本人初の南極点到達を達成しており、極寒の地で、養命酒、「山路の香」がささやかなお手伝いができたのであれば大変うれしいことです。
写真は、南極観測隊から、お礼にといただいた「南極の石」です。
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1966年(昭和41年)
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「山路の香」(みりん粕漬)信州物産展ではじめて市販
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1971年(昭和46年)
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養命酒労働組合結成
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関西支店を大阪市福島区に新築し移転。大阪支店と改称
これに合わせ、第二工場を岡谷工場、第三工場を埼玉工場にそれぞれ改称大阪支店
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鹿児島県串木野市に串木野研究所を開設
串木野研究所
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1972年(昭和47年)
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長野県駒ヶ根市に駒ヶ根工場を新設。これに伴い岡谷工場を廃止(昭和50年)
建設中の駒ヶ根工場
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1973年(昭和48年)
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塩沢護社長(第8代)就任
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会社創立50周年、駒ヶ根工場落成記念式典挙行
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1974年(昭和49年)
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赤穂味噌製造株式会社をヤマツル味噌株式会社に社名変更
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1975年(昭和50年)
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技術研究所を長野県上伊那郡箕輪町に新築、移転
中央研究所と改称(平成26年 商品開発センターに改称)
同時に、串木野研究所は、中央研究所串木野支所となる中央研究所
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1977年(昭和52年)
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岩手県下閉伊郡田野畑村に田野畑生薬センターを設置
センターの杜仲畑
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1979年(昭和54年)
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養命酒の処方が現在のかたちになる
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むかし、むかしの養命酒
古文書「覚日記」
現在、薬用養命酒に使われている生薬は、インヨウカク、ウコン、ケイヒ、コウカ、ジオウ、シャクヤク、チョウジ、トチュウ、ニンジン、ニクジュヨウ、ボウフウ、ヤクモソウ、ハンピ、ウショウの14種類です。この生薬処方になったのは、1979年(昭和54年)のことでした。
長い歴史を持つ養命酒ですが、確認できる最も古い処方は、会社に伝わる古文書に記されています。写真はその古文書ですが、見開いた2ページにわたり「御薬萬病養命酒は、生反鼻を浸した家醸酒(原酒)を七年に亘り、土中に埋めた甕を以って醸す。この原酒にさらに七味(七種):朝鮮人参、烏薬、淫羊藿、肉蓯蓉、杜仲、防風、桂枝:の薬草を合醸し、之を用いる。」とあります。文化十年(1813年)三月の日付も見えます。いくたびか処方変更を行ってきた養命酒ですが、あらかじめ配合した生薬を原酒に浸して有効成分を浸出し熟成させるという合醸法は、養命酒の伝統製法として今に引き継がれています。
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1980年(昭和55年)
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福岡営業所を支店に、仙台・名古屋両出張所を営業所に改める
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1982年(昭和57年)
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「家醸本みりん」を長野県で発売
翌年(昭和58年)全国主要都市で発売開始「家醸本みりん」
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1989年(平成元年)
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営業年度を4月~翌年3月に変更
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本店新社屋完成
本店新社屋
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1992年(平成4年)
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ヤマツル味噌株式会社をヤマツル株式会社に社名変更
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1996年(平成8年)
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名古屋営業所を名古屋支店に改める
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1999年(平成11年)
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串木野支所を閉鎖。中央研究所に集約
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2000年(平成12年)
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ブドウ糖貯蔵基地を埼玉工場より駒ヶ根工場へ移設
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2001年(平成13年)
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塩沢護会長就任、塩沢祟浩社長(第9代)就任
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2002年(平成14年)
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養命酒創始400年記念式典挙行
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ナチュラルミネラルウォーター「山河悠久水いさら」を地域限定で発売
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養命酒の仕込水
養命水
養命酒造りに欠かせないのは良質の水です。
中央アルプスと南アルプスの間、伊那谷を流れる天竜川の流域は、水が良いことで知られていますが、発祥の地(長野県上伊那郡中川村)も第二工場(長野県岡谷市)も天竜川沿いにありました。特に、第二工場のあった岡谷は、数々の泉が湧き出る土地でした。
1972年(昭和47年)に製造拠点を現在の駒ヶ根工場(長野県駒ヶ根市)に移してからは、養命酒の仕込水は、中央アルプスの花崗岩層に磨かれた地下水となりました。
標高800mに位置する駒ヶ根工場の地下150mからくみ上げる水は、硬度18mg/Lの極軟水。カルシウムやマグネシウムといったミネラルの含有量が少なく、自然の生薬を合醸して造る養命酒には最適の水でした。
工場見学に訪れるお客様の、養命酒の仕込水を飲んでみたいとのご要望にお応えしたのが、「山河悠久水いさら」です。飲料水としてはもちろんのこと、素材の良さを引き立てるとして日本茶に適した水とされ、またご飯をおいしく炊ける水としてお客様に喜ばれました。2006年「養命水」と名前を変え、オンラインショップ等で販売、発売当時と変わらず「おいしさを引き出す」おいしい水としてご好評をいただいております。
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