養命酒ライフスタイルマガジン

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おつまみの雑学

織田信長の悪趣味な酒の肴とは?! 鬼平犯科帳流・蕎麦屋での飲み方とは? ピラニアをおつまみにした文豪って?! 今月はお酒とおつまみにまつわる雑学をサカナに一杯どうぞ!

古人たちが愛した酒の肴

光源氏はかわきもので一杯?

おつまみは「肴(さかな)」ともいいますが、語源は「酒菜」で、酒のための菜=おかずという意味です。肴は魚に限らず、平安時代には梨や柿、栗など、植物の実がおつまみとして食されていました。
例えば『源氏物語』には「御果物ばかりまゐれり」という一節がありますが、これは、光源氏に酒の肴として御果物を差し上げたという意味です。ただ、当時の果物という語には、米粉や小麦粉を水でこねて油で揚げた「唐菓子」も含まれています。稀代のイケメン光源氏が、俗にいう“かわきもの”をパリポリつまみながら一杯ひっかけている姿を想像すると、ちょっと微笑ましいですね。
ちなみに、当時のお酒は不純物の多い濁り酒ゆえ、大量に飲むと悪酔いしやすく、泥酔した右大臣が女官の衣をうっかり破ったとか、重要な儀式で机をひっくり返して座がしらけた…といったコントのような失敗談が『紫式部日記』にこれでもかと書き記されています。今も昔も、お酒は飲んでも飲まれないのが鉄則ですね。

織田信長の悪趣味な酒の肴とは?!

酒の肴は食べものだけではありません。酒宴での舞や歌も「肴舞」「肴謡」などといって、古来より愛されてきました。また、花見酒や月見酒のように花鳥風月や珍しい話題を楽しむことも、風流な酒肴(しゅこう)として今に受け継がれています。
鎌倉時代や室町時代には、武人たちが鎧兜など自慢の武具を肴に酒を飲み交わしたといわれています。戦乱の世になると、それが少々エスカレート。織田信長に至っては、敵の浅井久政・長政親子らの首を討ち取り、その頭蓋骨に漆と金粉を塗った「髑髏杯」を肴に正月の酒宴を楽しんだのだとか。そんなグロテスクな肴を出されては、家臣たちはいくら飲んでも酔えなかったでしょうね…。

酒の肴

『鬼平犯科帳』流に蕎麦屋で粋に飲む!

時代劇などではよく居酒屋で侍や町人がお酒を楽しんでいる光景が出てきますが、江戸中期までは酒屋の軒先に酒樽を並べただけの立ち飲み屋や、飯屋がついでに酒を出す程度で、本格的な居酒屋はありませんでした。江戸に居酒屋の原型に近い店が登場したのは、1740年頃。東京・神田の「豊島屋」という酒屋が店を改造し、店頭で手作り豆腐の田楽や芋の煮っころがしをおつまみに提供するようになったのです。江戸後期になると、客の趣向に合わせておでんや煮芋、魚介、鶏などメニューのバリエーションも増えていきました。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵が活躍したのもこの頃。平蔵はしばしば蕎麦屋で飲んでいますが、当時の蕎麦屋は仕事上がりの職人たちの憩いの場でした。まずは板わさのような軽いおつまみでお銚子1本、次に出し巻き卵でもう1本、シメに蕎麦を手繰って長尻せずサッと帰るのが粋な飲み方だったとか。ぜひお試しを!

文豪のおつまみはピラニア?!

食と美酒をこよなく愛した作家・開高健は、世界各国の美味・珍味を探訪し、「はつかネズミの五目スープ」に「ヘビスープ」「モルモットの唐揚げ」…といったゲテモノ料理も絶賛する胃袋と好奇心の持ち主。そんな彼がブラジルで食べたというのが、ピラニアの刺身。著書『小説家のメニュー』によると、アマゾン川中流の湖で自ら釣ったピラニアをカッターナイフで薄造りにし、「透き通るような白身で、ほどよい脂が乗っている、旬のヒラメのような味」を、ピンガ(サトウキビを発酵させたブラジル産蒸留酒)をすすりながら堪能したのだとか。
そんな豪胆な文豪も、都会では酒びたりになっても大自然の中ではほとんどお酒を飲まないと語っています。アウトドアでは澄んだ水や空気こそが酒であり肴であり、大自然そのものに酔いしれることで、身体が自ずとお酒を欲しなくなるのかもしれませんね。