養命酒ライフスタイルマガジン

健康の雑学

長寿県・長野の雑学

天ぷらならぬ“金ぷら”ってどんな料理?田んぼでお米だけじゃなくて魚も育てる?長野独自の食文化にスポットを当てた雑学をご紹介します。

「天ぷら」は小麦粉で揚げる。では「金ぷら」は?

「信州信濃の新蕎麦よりも、あたしゃあなたのそばがよい!」

映画『男はつらいよ』の記念すべき第一作、寅さんが啖呵売をするシーンで、こんな口上を述べています。

これはもともと、幕末から明治にかけて流行した都都逸(どどいつ)の一節です。「長野(信濃国)=蕎麦どころ」というイメージは今に始まったわけではなく、江戸時代から確立していました。現在、私たちが食べている蕎麦は、蕎麦粉を練ったものを包丁で麺状に切った「蕎麦切り」と呼ばれる料理ですが、これも信濃国は中山道の宿場「本山宿」から全国に広まったという説もあります。

「信濃=蕎麦どころ」のイメージは和食の世界にも取り入れられ、そばを使った料理のことを「信濃○○」や「信州○○」と呼びます。今月のレシピでご紹介している「信濃蒸し」もそのひとつ。さらに、小麦粉のかわりに蕎麦粉を使って揚げた料理を「信濃揚げ」と呼ぶこともありました。

その「信濃揚げ」の一種が「天ぷら」ならぬ「金ぷら」。現在は、卵黄をふんだんに使って揚げ、黄金色の衣がついたものを「金ぷら」と呼ぶことが一般的ですが、元来は蕎麦粉を使った天ぷらのことを指していました。見た目からすると、蕎麦粉で揚げたほうが小麦粉で揚げるよりも黒ずんでしまい、とても“金”がつく料理とは思えません。なぜ“金”の字がついたのでしょうか?

その理由は、江戸時代の金細工師の仕事場にあります。仕事納めの大晦日、作業中に飛び散った細かい金粉を掃除する際、蕎麦粉を水で練って固めたものをあてがうと、粘り気によってきれいに取ることができたのだとか。それを火にかけると、蕎麦粉は灰になって金だけが残り、翌年に再利用できるというわけです。一説によると、年越しに蕎麦を食べるのも、蕎麦粉が“金を集める”縁起物だから、といわれています。

学校で、イナゴを獲って、本を買う!?

古くから、長野県民のタンパク質不足を補う“エリート食品”として重宝されてきたのが、イナゴ、ハチノコ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、川に生息するザザムシなどの昆虫です。他県の方からすると、思わず後ずさりしてしまいそうですが、いまや高級食材となっているハチノコなど、その珍味に惹きつけられている人もいます。これらの昆虫を捕まえる作業も、地元の文化の一部となっています。


◎長野県の小学校では、授業でイナゴを獲って販売していた。

いまとなってはイナゴの数も農薬の影響で減ってきましたが、もともと稲にとって害虫であり、農家の人びとだけでは駆除できないほど発生する年もありました。そこで駆り出されたのは地元の小学生たち。稲作について学ぶ課外授業の一環として、早朝に「イナゴ取り」行い、袋につめて学校へ持ち帰ります。大なべで佃煮を作って食べることもあれば、集めたイナゴを売りに出して、図書室の本や校内の備品を買う費用に充てていた学校もあったそうです。農家も助かる、学校も助かる、当の子ども達も遊び気分で楽しい…なかなか理に叶ってます!


◎ハチノコは、走って走って見つけ出す!

長野名物のハチノコ。タンパク質、脂肪、炭水化物の三大栄養素が豊富で、ビタミンやミネラルも多く含んでいます。缶詰で買うことも出来ますが、このハチノコを採取するための「地蜂(スガリ)追い」をご存知ですか。

長野の初秋の風物詩としても知られる「地蜂追い」は、一言で言うなら人間とクロスズメバチ(=写真)の追いかけっこです。その舞台は山の中。まず、魚やイカの切り身を餌として仕掛けておきます。やがて飛んできた蜂に、小さな餌に白い真綿を絡めてそっと差し出すと、蜂は器用にそれを抱えて巣に戻ろうとします。あとは、白い真綿を目印にした追いかけっこのはじまりはじまり!
蜂を見逃さないよう山中の道なき道を駆け回り、うまくいけば地中にあるクロスズメバチの巣を見つけ出せる、というわけです。

巣を見つけたら、煙幕(長野県では蜂とり専用の煙幕が売られているのです!)で蜂をいぶして仮死状態にし、巣を掘り起してから中のハチノコを取り出します。

こうやって聞くと実に大変そうですが、近年では半ばスポーツやゲームのように楽しむこともあるのだそうです。山を走り回って自分の手で見つけ出したハチノコの味は、ことさら格別でしょうね。

イナゴだけじゃない!田んぼで育てる魚とは?

初秋に田んぼでイナゴをとり、稲を収穫した後も、田んぼはフル活用されます。温暖な地域ですと、田んぼが畑となって麦を栽培することもありますが、冬の寒さが厳しい長野では、二毛作はなかなかできません。

そこで思いついたのが、貴重な動物性タンパク源となる鯉の養殖です。稲の収穫が終わっても水を張っておき、そこに鯉を放って育てることを「水田養鯉」といい、長野県の東部に位置する佐久市では、農家の副業として江戸時代からこの手法で養鯉を行ってきました。

鯉のエサとして重宝されたのは、これも副業として行われていた養蚕で生じた蚕のさなぎや、田んぼに生息する害虫や水草です。しかも、餌を食べた鯉のフンは、そのまま来年の田んぼの肥やしになります。見事なまでの循環システムが作られてきたわけです。一時は農薬の影響で下火となりましたが、最近は無農薬栽培を行っている農家もポツポツと増えだしたことから、水田養鯉を行う農家も少しずつ増えてきました。

加えて、水の美味しい長野県です。千曲川や八ヶ岳を源とする清らかな水を養鯉に利用するため、鯉特有の泥臭さが抜け、身が締まり、程よく脂の乗った鯉に育つのだとか。通常はくさみを消すために酢味噌で食べる鯉の洗い(刺身)も、長野ではわさび醤油で食べることが一般的です。稲作だけに留まらない田んぼの活用法を編み出した先人の知恵に、改めて驚かされます。