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生薬ものしり事典

生薬ものしり辞典 100
お正月飾りのひとつ「マンリョウ」

新春を彩る縁起物の赤い果実

新しい年の始まりには、新春を祝う気持ちを大切にしようと、身の回りにおめでたい品を飾る習慣があります。福々しい名前の植物を飾ることも多く、「マンリョウ」もそのひとつです。お正月に飾る縁起物の植物には、マンリョウをはじめ、「センリョウ(千両)」「ヤブコウジ(藪柑子)」「カラタチバナ(枳殻花)」「ナンテン(南天)」「梅もどき」など、赤い果実をつけるものが多く見られます。果実の赤色が「おめでたい色」とされていることや、彩りの少ない冬に暖色の実をつける植物が喜ばれるからかもしれません。

マンリョウ

マンリョウはアジア東部、南部の暖帯に広く分布し、日本では関西以西、四国、九州の山林中に生えるヤブコウジ科の常緑低木です。普段目にするマンリョウの多くは、観賞用に栽培されている品種です。

茎は直立し、枝をまばらに出し、高さ30~60cm程度に成長しますが、時には1.5~2mに達することもあります。葉の質は厚く光沢があり、縁に波状の「きょ歯」を持ち、ややしわ状に波打っています。夏には枝先に小さな花をつけ、秋には直径6mmほどの果実を下垂。冬になると赤色を増し、赤いさんご色の果実となります。

植物名は、その果実の色合いが、ヤブコウジの十両、カラタチバナの百両、センリョウの千両に勝るから「マンリョウ(万両)」となったといわれています。その名の通り、華やかに目立つ植物なので、一番の大金に例えられるほど貴重だったのかもしれません。

お正月の縁起物として知られるマンリョウですが、その名が一般に知られるようになったのはヤブコウジやカラタチバナよりもはるかに遅いようです。江戸中期の医師・貝原益軒の『花譜』(1698年)にも、植木職人・三之丞伊藤伊兵衛の『花壇地錦抄』(1695年)にもマンリョウについての記述は見られません。

江戸末期の園芸家・金太の『草木奇品家雅見』(1827年)に、「まんりょう」「まん里ゃう」「万里ゃう」「万両」の4通りの名前で登場しています。同じころに出版された水野忠暁の『草木錦葉集』(1829年)では、「万量」の字を当てています。また、このころには「まん竜」の名も見られ、漢名には「硃砂根(スサコン)」を当てていた記録があります。一説では、江戸時代の武士層があからさまな金銭名での表現をはばかったからではないかといわれています。なお、植物学者の牧野富太郎博士は後に「硃砂根」を用いるのは誤りであると述べています。

江戸末期から明治にかけてマンリョウが急速に普及してから、その名が多くの人に知られるようになりました。明治時代に出版された『硃砂根銘鑑』(1901年)には、53種の品種が登場していることからも、流行していたことがうかがえます。新品種には、果実が淡黄色の「キミノマンリョウ」、「シロミノマンリョウ」、果実が大きい「オオミノマンリョウ」、葉が斑入りの品種など、さまざまな種類があります。明治後半からは歌題にも使われるようになりました。

万両は 兎の眼もち 赤きかな

加賀千代女

学名はArdisia crenata、属名はardis(槍先)という意味で、雄しべの姿にちなみます。種小名は歯状という意味で、葉の姿に由来します。

花言葉は「徳のある人」「寿ぎ(ことほぎ)」「財産」です。

出典:牧幸男「植物楽趣」