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生薬ものしり事典

生薬ものしり辞典 73
古代中国で解毒に役立てられた生薬「チャ」

花と実が共に観賞できる「チャ」の木

10月頃に花が咲き始めると、直径1cmほどの茶色い実がポロポロこぼれる「チャ」の木。この木の特徴は、花と果実が一緒に観賞できることです。チャの花が咲き始めると、秋は一段と深まり、冬の気配が濃くなります。淡い日差しを受け、うつむき加減に咲く白い花には、清らかな気品が感じられます。

「チャ」はツバキ科の常緑灌木で、樹高は場所によって10mほどになりますが、普通の栽培では1mほどに刈り込んでしまいます。常緑互生の楕円形の葉をつけ、枝を茂らせます。10月頃に葉の付け根に白い花を開き、果実は翌秋成熟します。

チャの主な種類は「アッサムチャ」「中国茶(日本のチャはこれに属す)」のほか、これらの中間種に分類できます。園芸種には、江戸時代後期に作られた淡紅色の「ベニバナチャ」や、戦後に改良されたサザンカとの交配種「サザンチャ」があります。

原産地ははっきりしませんが、インド、ビルマ(ミャンマー)、ラオス、ベトナムなどの国境と接している中国雲南省と考えられています。

チャの木が中国から渡来した時期は、『東大寺要録』によると、僧の行基が天平時代にチャを植えた記録が最初とされています。当初は医薬品としての利用が主体でした。現在のようにお茶を飲む形式は、平安時代に僧の栄西が宋より持ち帰り、佐賀の背振山に植えたのが始まりとされています。栄西は『喫茶養生記』を著し、栽培、製茶、飲茶式、薬効などを後世に伝えました。この本は源実朝に献上され、武士階級から庶民に広がる契機になりました。室町時代になると、茶を好んだ足利義満が宇治に茶園を開き、栽培を盛んにしました。

江戸末期には、お茶を庶民が飲用するようになり、歌題に詠まれることも多くなりました。

チャ

茶の花に かくれんぼする 雀哉

小林一茶

茶の花に 暖かき日の しまいかな

高浜虚子

明治時代には、岡倉天心が『茶の本』の冒頭で、「茶は医薬として始り、のちに飲料となった」と記しています。島崎藤村は随想『お茶の話』の中で、「あの寒い国に生まれたものですからね。さう云う気候の関係もあって、信州のものはいずれも茶好きです。私の茶好きも、つまりさう云うところから来てゐるのでしょう」と述べています。

チャの名前は、英語の「Tea」と同様に、漢名の「茶」の音に由来します。漢名は「茶」ですが、「茖(かく、やまにら)」の字も使われています。

学名はThea sinensisで、属名は漢名の茶の音読み、種小名も中国に関した呼称に由来することから、中国を代表する植物のひとつといえます。中国最古の生薬の書『神農本草経』(3世紀)を著した神農は、植物を口に含んで薬効を判断したため、1日72回も毒に当たったけれど、その都度、お茶の葉を用いて解毒したといわれています。

花言葉は、「追憶」「純愛」です。

出典:牧幸男『植物楽趣』