養命酒ライフスタイルマガジン

健康の雑学

避暑の雑学

日本の夏といえば風鈴、そうめん、かき氷──ですが、国が変わると暑さを忘れる方法もちょっと違うようです。
今月は、避暑にまつわる雑学をお届けします。

京都ならではの「住宅の衣替え」

今年も去年並みの猛暑になるのかと気をもんでいる方も多いと思いますが、上には上がいるものです。世界最高気温は、1921年にイラクのバスラという都市で記録された58.8℃!あともう少しで卵の黄身が固まる温度です。

日本の最高気温はというと、2007年に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で観測された40.9℃。世界最高気温に比べたらだいぶ低いのですが、それでも暑い!熊谷市と多治見市では、この「日本一」を逆手にとって「暑い町」として観光誘致を進めています。

ちなみに、夏と冬の気温差が激しいところとして知られているのは、北海道旭川市。夏は30℃を超えますが、これまでの最低気温は、なんとマイナス41℃。明治35年の記録で、日本の観測史上では気温の最低記録(公式)です。そういえば、旭川が誇る観光名所「旭山動物園」は、冬期開園から夏期開園に移行する際、入念に1ヵ月ほどかけて動物たちの住環境を夏仕様に「衣替え」しています。激しい気温差ゆえのことといえるでしょう。

熊谷は平地ですが、多治見と旭川は盆地です。四方を山に囲まれた盆地の場合、山を越えてくる風が乾燥していて暖かく、盆地内の気温が上昇する仕組みです。

同じく盆地で夏が暑い地といえば京都もそうですね。そんな暑さをしのぐ工夫として京都の町屋で行われているのが、本格的な夏を前に、ふすまや障子を「葦戸(よしど)」に入れ替えること。葦戸とは、よしずを張った戸や障子のことで、俗に「夏障子」ともいわれています。これにより、風通しが良くなることはもちろん、見通しが良くなって開放的な空間になり、気分的にもさわやかに過ごせるようです。

「クーラーのない部屋に閉じこもる」ことが効果的な暑い国

暑さをしのぐために工夫を凝らすのは、日本だけのことではありません。たとえば衣類。インドのサリーなど、通気性のよい一枚布を巻くスタイルが暑い国ではよくみられます。エジプトの「ガラビア」と呼ばれる男性の民族衣装もざっくりとしたワンピースタイプで、袖と裾が広めにあつらえてあるため、風通しがよくなっています。砂漠の砂ぼこりを防ぐ効果もあるようです。

スペインやイタリアなども、夏の暑さは厳しいものがあります。クーラーのない家も珍しくありません。そんな彼らの暑さ対策は、なんと「扉や窓を閉める」こと。カーテンも、窓についている木製の雨戸(鎧戸)も閉めきるため、部屋が薄暗くなります。それで涼しくなるの!?と思ってしまいますが、これは湿度が低いからこそ効果が出る技。昼は暑いですが夜は涼しくなるため、日中はその涼しさを少しでも逃がさないよう、窓を閉めるのです。太陽光をシャットアウトするわけですね。そして薄暗くなった部屋でシェスタ(昼寝)することが基本的な暑さ対策となっています。

とはいえ、昨今ではどの国にもクーラーが普及しています。東南アジアなど、現地のデパートやスーパーに入ったとたん「寒い!」と感じることもよくある話。日本では「冷房は28度が健康のためにも、省エネのためにも適切」ということが普及しつつありますが、暑い国ではお構いなしに冷房をガンガンつけているケースが度々あるようです。

しかし、自宅にクーラーがない家が多いのもまた事実。天井にプロペラ型のファンがついていることもありますが、基本的な「涼」の取り方は至ってシンプルな「じかに床に座る」ことです。暑い国の住宅の床は大理石やタイル地になっていることが一般的で、じかに座るとヒンヤリするというわけです。

東南アジアの食生活は、ご存じのとおり「辛い料理」がたくさんあります。スパイスがふんだんに使われた料理を食べると汗が噴き出てきますが、本来の汗は体を冷やすラジエーターの役割を担っています。たくさん汗を掻くことが、体温を下げることにつながるため、理に叶っているわけです。

元祖かき氷を「上品!」と褒めた平安時代の女流歌人

「冷たいモノを食べ過ぎないようにしよう!」と思っていても、たまにはキーンと冷たいモノも食べたくなるのが人の常。日本人の私たちが恋しくなるものといえば、かき氷ですよね。

かき氷の歴史は意外と古く、平安時代にまで遡ります。清少納言の「枕草子」(第四十二段)に「あてなるもの」としてかき氷が登場の原型が登場しています。「あてなるもの」とは「上品なもの」という意味合いです。登場のくだりは「削り氷にあまづら入れて新しきかなまりに入れたる」。「あまづら」とは、蔓性の植物から採った当時の甘味料のことで、「かなまり」は金属製のお椀のこと。まさしく「シロップをかけたかき氷」ですよね。グラスよりも「かなまり」のほうがキンキンに冷えそうですし。

ちなみに、鋭い感性の持ち主だった清少納言は、かき氷以外にも「藤の花」「梅の花に雪が降り積もった風景」「カワイイ子どもがイチゴを食べているところ」などを「あてなるもの」として挙げています。

当時の氷は、冬場にできた氷を穴などに入れて、上から茅(かや)をかぶせる「氷室」で保存されていて、宮中御用達の氷室が近江や山城などにありました。当然、庶民に行き渡るものではありません。

時を経て幕末の頃、氷は遠路はるばる海外から「輸入」されはじめます。製氷や運搬の技術は日本にはまだなく、当然ながら高価なものでした。そこで立ち上がったのが、実業家にして“製氷家”だった中川嘉兵衛という人物。富士山の付近など、採取場所を変えたり技法を練ったりして失敗を繰り返しつつ、ついに明治2年、函館・五稜郭の外濠で天然の「国産氷」の採取・出荷に成功したのです。この氷は横浜などに船で運ばれました。

現在は、誰もが家庭に冷蔵庫を持ち、自動製氷機能などがついているものもあります。「氷があって当たり前」の世の中ですが、時には昔の人々の苦労を振り返り、「ありがたみ」を感じながらかき氷を食べてみるのも乙だと思いますよ。