生薬ものしり事典
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- 【2018年3月号】桃の節句に欠かせない「モモ」
生薬ものしり辞典 66
桃の節句に欠かせない「モモ」
邪気を払い百鬼を制す魔よけの木
3月になると、暖かな地方からはモモの花の便りが届きます。3月の行事として知られる「桃の節句」、つまりひな祭りは、旧暦の3月3日に行われていました。現在の暦にあてはめると約1か月のずれがあるため、かつては便宜的に新暦の4月3日を旧暦の3月3日に見立てて行事を行っていました。今でもその名残で、3月3日にひな祭りを祝うと、4月3日までおひなさまを飾ったままにする家もあります。
ひな祭りの起源は、中国の上巳(じょうし)の節句で、漢の武帝が「三統暦」を制定した際、3月を辰月としたため、辰に縁の深い巳の日を忌日として、災厄から逃れ、不浄を除くための祓いを行ったのが由来とされています。中国では古くからこの日に川辺に出て、青い草を踏み、川の流れでみそぎを行い、酒を酌み交わして穢れを払う除災の風習がありました。これが「曲水の宴」や人形に身体の穢れを移して、海や川に流すようになりました。この人形が技術の発達とともに装飾的なものとなり、観賞用のひなとなって、おひなさまが主となる行事へと変わっていったようです。
「桃は五行の精なり」といわれ、古来より邪気を払って百鬼を制す信仰の対象でした。モモを漢字で「桃」と書くのは、「兆しを持つ木」として、未来を予見して魔を防ぐ木と考えられていたことを物語っています。また、モモの木は多くの実を結ぶことから、聖なる多産の木と考えられていました。そうしたことから、女の子の末長い幸せを祈る桃の節句の行事になっていきました。
モモの原産地は黄河の上流の高原地帯。中国では3000年以上前から栽培されています。日本にも原種が存在しますが、弥生時代の末期に渡来したようです。現在のような大型のモモが市場に登場するのは明治以降。それまでは今よりも小型で、食用より神事や薬用に多く使われていました。薬用としては、種子、葉、花、果実、樹液、木部などの部位が利用されてきました。江戸時代には観賞を目的に「花桃」と呼ばれ、花の色が紅、紫、白、紅白に咲き分けるもの、八重咲など20種以上が作られました。
モモに関する記述は、『古事記』や『日本書紀』にも見られ、『万葉集』にはモモを詠んだ歌が6首採用されています。江戸時代まで、モモの花の美しさを詠んだ歌が多く見られます。
春の苑(その) 紅匂う 桃の花 下照る道に 出て立つ娘子(おとめ)
老が世に 桃太郎も出よ 桃の花
モモの植物名は、「真実(まみ)」や「燃実(もえみ)」からの転化説や、実が多いことから「百(もも)」を語源とする説などがあります。牧野富太郎博士は「日本では円くて硬いものをモモという」と述べていますが、確実な説は不明です。
モモの別名は「御酒草(みきくさ)」「毛桃子(もうとうし)」「三千年草(みちとせぐさ)」などがあります。学名はPrunus prsicaで、属名はラテン語のスモモの意。種小名は原産地を間違えて命名されてしまったことから、ペルシアの産するプラムの意となります。花言葉は、「私はあなたのとりこ」「気立てのやさしさ」です。
出典:牧幸男『植物楽趣』