古代遺跡めぐり

養命酒駒ヶ根工場内遺跡について

この遺跡は昭和45年、地元の考古学会員によって発見されたものですが、昭和46年、この地に養命酒の駒ヶ根工場を新設することになり、本格的な発掘調査が行われました。
調査は約1ヵ月間にわたり、面積約3万m2におよびました。
その結果、縄文時代、弥生時代の原始社会から、それに続く古代社会(古墳文化の時代から平安時代まで)にかけての住居跡や土器類などが数多く発見され、数千年の昔から人々がこの地で生活を営んでいたことが明らかとなりました。
このように原始社会と古代社会の遺跡が同時に発見された例は珍しく、貴重な発見として話題になりました。
当社では、この遺跡を「養命酒駒ヶ根工場内遺跡」と名付け、出土した土器類の一部を工場内で展示するとともに、 各時代の住居を構内に復元して、その保存を図ることにしました。

遺跡のあらまし

この遺跡は、駒ヶ根市赤穂16410番地養命酒駒ヶ根工場内にあり、広さは約36万m2(うち発掘調査済み区域約3万m2)にわたります。
地形的には、中央アルプス東麓の急な斜面と天竜川から西方に緩やかにのぼってくる傾斜とが接する、海抜800m余りの地点にあります。
山側の斜面は、山崩れによって押し出された土砂が積もって断層状になっていて、そこからたえず地下水が湧き出ています。
大昔、人々がここで生活を営むようになったのは、このように豊富な水があったことと周囲に山があって動物や木の実などの食物に恵まれていたこと、耕作に適 した土地があったこと、また、東西にアルプスの霊峰がそびえているため、祭礼や呪術などの儀式を行う上で好適な場所であったことが大きな理由として考えられ、このことが当遺跡の特徴にもなっています。

縄文時代中期住居

縄文時代になると、人々はそれまでの洞くつや岩かげの住まいから、木やかやを使い家を造って住むようになりました。建て方は、年代や地域によって多少違いがありますが、竪穴(たてあな)式と呼ばれる、地面を少し掘り下げ、その中に太い木で数本の柱を立て、これに梁(はり)や桁(けた)をわたし、地面まで垂木(たるき)をつけて屋根をかやなどでふく、ごく簡素なものでした。復元されている住居は、発掘された住居址の一つを復元したもので、今から約4000年前の縄文時代中期のものです。

弥生時代住居

弥生時代は、人々の生活がそれまでの狩猟や採集から次第に稲作中心へと変わり、豊かになっていきました。住まいは竪穴式ですが、そのかたちは地域によってかなり差がありました。また、米などの食糧を保存するための穴倉が住居とは別に造られ、やがて、床を地面より高くした高床式の倉庫も建てられるようになりました。復元されている住居は、今から約1900年前の弥生時代後期のものです。

平安初期住居

古代社会の後半になると、中央の豪族の間では住まいは高床式のものが多くなってきましたが、地方の庶民は相変わらず竪穴式住居に住み、集落を形成していました。この頃の特色は、竪穴の構造が全国的に似た様式になっていることで、文化の交流がかなり活発になっていたことがうかがえます。それは、方形の竪穴とその対角線上に4本の支柱があり、北または東の壁中央にかまどと煙突(煙抜きの穴)を設け、そのかたわらに食糧貯蔵用の穴があるというものです。復元されている住居は、今から約1200年前の平安時代初期のものです。

*臨時休業のお知らせ:2015年3月31日(火)は棚卸のため臨時休業とさせていただきます。