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「ウルトラC」も「ウルトラQ」も東京五輪の体操から生まれた?! 「ツカハラ」や「シライ」など、体操の技名に日本人姓が多いのはなぜ?! 今月は「体操」にまつわる雑学をご紹介!

戦前は燕尾服に蝶ネクタイ姿でラジオ体操?!

体操というと、日本人にとって最もなじみ深いのは「ラジオ体操」でしょう。そのルーツはアメリカで1920年代に保険会社の広告としてラジオ放送されていたエキササイズ番組にあり、日本ではこれをネタモトに、「国民保健体操」として1928年に東京中央放送局でラジオ放送をスタートしました。担当した元軍人のアナウンサーは、ラジオで姿が見えないということもあり、当初はパンツ1枚で放送していましたが、昭和天皇の第一皇女である成子内親王も熱心に聴かれていると知るや、あわてて燕尾服に蝶ネクタイの正装でラジオ放送したのだとか。

日本で最もメジャーなのは、戦後の1951年に始まった「ラジオ体操第1」。60年以上も国民に親しまれているおなじみのテーマ曲を作曲したのは、黒澤明監督の映画音楽なども手がけた服部正氏。「のびのび運動」から始まる体操は「腕を振って足を曲げのばす運動」や「体を横に曲げる運動」など、計13種で構成されています。
1952年に始まった「ラジオ体操第2」は、日本を代表する国民的作曲家・團伊玖磨氏による名曲で知られ、ゆるめの第1よりもぐっとアップテンポです。第1と同じ13種の体操によって構成されていますが、飛んだりゆすったり、ガッツポーズっぽいアクションが入っているなど、ダウンテンポの第1より運動量が多い分、ノリノリ感があるのが特徴です。

「ウルトラC」も「ウルトラQ」も東京五輪の体操から生まれた!

「あの問題はウルトラC級だけど、クリアしてみせる」とか「とっておきのウルトラCを出すぞ!」などと、難易度がとても高いものやスペシャルな秘策を「ウルトラC」ということがありますが、実はこの言葉は1964年に開催された東京五輪の体操競技がきっかけで生まれました。当時、日本の男子体操選手チームが最高難度Cの大技を決めて金メダルに輝き、日本中を沸かせたことから、「ウルトラC」という言葉がその年の流行語となり、一般表現として定着したのです。
ただし、現在の体操競技では、Cよりもっと難しいF難度やG難度まで設定されているため、本家の体操で「ウルトラC」という表現はもはや使われなくなっています。

東京五輪直後の1966年に放送された円谷プロダクションの特撮番組『ウルトラQ』も、実は当時の流行語「ウルトラC」を元に命名されました。その後も『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』をはじめ、平成の『ウルトラマンティガ』や21世紀の『ウルトラマンメビウス』といった歴代ウルトラヒーローが続々誕生。その原点が、東京オリンピックのヒーローである男子体操選手の「ウルトラC」にあったのだと思うと、感慨深いものがありますね。

体操

「ツカハラ」から「シライ」まで体操の技名はなぜ日本人姓が多い?

「ツカハラ」「モリスエ」「ヤマワキ」「TANAKA」……体操競技には、日本人の姓が冠された技が数多く見受けられます。通常、新技に自分の姓を命名する場合、事前に新技を申請し、国際体操連盟公認の国際大会でその技を成功させることができれば、その人の姓が技名として認定されます。
体操界の新星として注目されている“ひねり王子”こと白井健三選手も、2013年に国際大会で「後方伸身宙返り4回ひねり」を世界で初めて成功させ、その新技に「シライ」と命名されました。
日本の男子体操は1960年ローマ五輪にて 団体優勝して以来、約20年にわたり、団体、個人ともにメダルのゴールドラッシュが続き、その間に日本人選手名が付く技が多く誕生しました。「ニッポンのお家芸」といわれるほど優れた男子体操ですが、最初に日本に器械体操が導入されたのは江戸末期でした。藩の新兵訓練に使われた器械体操が、やがて日本軍の新兵訓練に利用されるようになり、さらに学校教育にも採り入れられるようになったのです。
ロサンゼルス五輪以降は長らく不振続きだった日本男子体操ですが、アテネ五輪以降は再び世界トップクラスに返り咲きメダルラッシュに沸いています。2020年東京五輪では「体操ニッポン」の大活躍を期待したいですね!