HOME > 健康の雑学 >  【2013年3月号】 「泣く」と「涙」の雑学

「泣く」と「涙」の雑学

女の涙は実は武器にならない?!村上春樹は小説を書きながら泣いた?ヒポクラテスの唱えた涙のカタルシス説とは?などなど、涙をめぐる面白雑学をご紹介!


女の涙は武器にはならない?


「女性の方が涙もろい」説には科学的根拠があった!

「女は男よりも情け深く、涙もろい」といったのは、古代ギリシアの学者アリストテレスですが、アメリカの生化学者ウィリアム・H・フレイⅡ世博士の調査によると、女性は1カ月に平均5.3回泣いたのに比べ、男性は1.4回と、女性の3分の1以下だったそう。
女性の方が涙もろいのは、プロラクチンという母乳を促すホルモンを男性の1.5倍以上持っていることと関係があるようです。プロラクチンは涙腺の細胞にも含まれており、これが涙の分泌を促すと考えられています。また、女性は排卵前後の数日間、女性ホルモンのエストロゲンが増えることで、共感脳を刺激する神経伝達物質セロトニンも増え、普段より涙もろくなるようです。

女性の涙=逆フェロモン?

「男がどんな理屈を並べても、女の涙の一滴にはかなわない」といったのは、18世紀フランス啓蒙主義の哲学者ヴォルテールですが、近年、女性の涙には男性をシラケさせる化学物質が含まれているという“逆フェロモン説”が浮上してきました。
イスラエルのワイツマン科学研究所が米科学誌サイエンス電子版に2011年に発表した実験結果によると、複数の女性に悲しい映画を見せて涙を採取し、涙が染み込んだシートと塩水が染み込んだシートを男性被験者24人の鼻の下に順に貼り付けたところ、涙シートを貼り付けたときだけ男性ホルモンのテストステロン濃度が低下し、性的興奮に関わる視床下部の活動も低下したそう。女性の涙は武器になるどころか、むしろ男性を遠ざけてしまうようですね!


文学作品に描かれる解放と癒しの涙


村上春樹ワールドをめぐる涙

作家の村上春樹は、代表作の1つ『羊をめぐる冒険』を書きながら、「ホロッと泣いちゃうことが2度あった」と語っています。彼の多くの小説には、派手な号泣シーンはまず出てきませんが、物語の重要な箇所で、主人公がまさに「ホロッ」と不意に落涙する場面がよく見受けられます。それらの多くは、迷える主人公が心を解放した決定的瞬間であり、深く長い物語の終焉を告げる合図になっているといえます。

例えば、村上春樹自身も書きながら泣いたと語った『羊をめぐる冒険』では、親友を亡くした主人公がラストで「僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された50メートルの砂浜に腰を下ろし、2時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。2時間泣いてからやっと立ち上がることができた」と独白します。2時間も大泣きしているのに、決して湿っぽくならない淡々とした語りが、主人公のあふれる思いを際立たせています。 また、『海辺のカフカ』のラストでも、15歳の誕生日に家出をした主人公が、紆余曲折を経て新幹線で四国から東京に帰る途上、降り出した大粒の雨を車窓から眺めながら、眼を閉じて身体の力を抜き、こわばった筋肉をゆるめると、「ほとんどなんの予告もなく、涙が一筋流れる」という描写があります。いずれも抑制のきいた表現ですが、これらの静かな涙こそ、村上文学の鍵を握る重要なキーワードになっているのです。


泣き虫作家・内田百閒の日本初ペットロス文学とは?

夏目漱石の弟子としても知られる作家の内田百閒(1889~1971年)は、独特のタッチの小説や随筆を多数著していますが、中でも随筆『ノラや』は異色の一作です。もともと猫好きだったわけでもない頑固で無愛想な百閒が、ふとした縁で家に居つくようになった一匹の猫を「ノラ」と名付けてかわいがるようになります。百閒がノラを愛でる日々の描写はとても微笑ましいものがありますが、ある日ノラは忽然と姿をくらませます。
消えたノラへのあふれる想いから、『ノラや』には「そこまで泣くか!」というほど泣き濡れる場面がよく出てきます。自他ともに認める“偏屈じじい”だった百閒は、ノラの失踪を機に“泣き虫百閒”と化し、「毎日毎日、昼も夜も泣いてばかりゐた」「ノラのことが心に浮かび、目尻から涙が垂れて枕を濡らした」と、全編通して何かにつけてはしくしくめそめそ……。百閒は喪失のやるせない悲哀を、泣くことで必死に癒していたのでしょうね。



ヒポクラテスからダーウィンまで~涙の諸説


古代ギリシア時代から知られていた涙のカタルシス説

映画などを観たときに観客が登場人物に自分を投影して心を浄化することを「カタルシス効果」といいますが、カタルシスとは元来ギリシアの医学用語で、薬によって嘔吐や下痢をさせて毒素を体外に排出する行為を意味します。
古代ギリシアの医師ヒポクラテス(紀元前460~370年頃)は、血液や粘液などの体液のバランスが崩れると病になると唱えており、涙は脳から直接流れ出る体液であるとしていました。ヒポクラテス学派を受け継ぐアリストテレス(紀元前384~322年頃)も、涙には余分な体液を体外に排出して浄化するカタルシス効果があり、身体によいと考えていました。紀元前から涙の効力は認知されていたのですね。

ダーウィンの進化論的涙説

『進化論』で知られる英国の自然科学者ダーウィン(1809~1882年)は、人は泣くと眼球の周囲の筋肉の収縮によって涙腺が圧迫され、それによって涙が体外に流れ出てくると解釈しました。また、涙には充血した目もとを冷却する効果もあると考えました。まるで真夏の打ち水のようですね。
ダーウィンは進化論者らしく、人が涙を流す行為とは、そうした神経経路が発達した結果生じた情動表現であると解釈しました。人はときに、哀愁の涙をせつなく浮かべながら幸せそうに微笑んだりすることがありますが、こうした複雑な心情の涙も、神経系が進化した人間ならではの高度な涙であるとダーウィンは解釈したのです。