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生薬ものしり事典74 晩秋に咲く日本人好みの「サザンカ」


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軟膏の原料にも使われる生薬

11月は平地の紅葉もそろそろ終わりを迎える月です。サザンカが咲き出すのも、冬枯れの季節が始まる前のこの頃です。晩秋から初冬にかけて開花する、どこか寂しげで清楚な面影を漂わせたサザンカの花は、日本人に好まれ、観賞用として地位を築いています。


サザンカ


サザンカは九州、四国および周辺の島々から琉球列島に生育しているほか、観賞用に庭や公園に植えられているツバキ科の常緑の小高木です。高さが10mほどになることもあり、よく分枝し、葉を多くつけます。野性のサザンカの花は純白ですが、観賞用の園芸種にはツバキと交雑したものも多く見られ、さまざまな品種があります。花の色は、紅、淡紅、紅白、桃、ぼかし、斑入り、覆輪など華やかで、花の形も、大輪、広弁、一重、八重など多様です。花期は短いものの、次々に咲く多花性のため、地面に散った花の姿を愛でる人も多くいます。


庭園樹として植栽されるようになったのは、寺院や旧家のサザンカの古木調査から室町時代と推定されています。サザンカが最初に文献に登場するのは、江戸時代初期の『立華正道集』です。類似したツバキが奈良時代の『古事記』に収載されているのに比べると、1000年近く遅いといえます。江戸幕府の11代将軍徳川家斉(1787~1837年)がこの花を特に好んだことから、サザンカの栽培が盛んになっていきました。
サザンカはツバキの花と時を同じくして、明治初期頃にフランスに渡り、次いでイギリスに渡りましたが、ツバキのように流行しませんでした。春の明るいイメージのツバキに比べ、初冬の寂しげなイメージのサザンカは、ヨーロッパではあまり好まれなかったようですが、わびさびを好む日本人には茶花として愛用されました。
初めて俳句に詠まれたのは、『芭蕉七部集』の『冬の日』(1684年)といわれています。元禄時代にはよく俳句の題材になり、その後は忘れられていましたが、明治以降に再び季語の題材として詠まれるようになりました。


わが庭の 古木山茶花 咲き出でて 今より後の 冬を紅くす

川田順

山茶花は さびしき花や 見れば散る

池上不二子

牧野富太郎博士はサザンカの名について、「多分、山茶花から変化したものであろう。しかし、山茶花と書いてこれをサザンカと読むのはよくない。山茶花は元来ツバキの名である。漢名は茶梅が正しい」と述べています。サザンカの別名には「山ツバキ」「小ツバキ」「油茶」「カタシ」「山茶」「梅茶」などがあります。「油茶」はツバキと同様種子から油を搾るからで、「カタシ」はサザンカ油の呼び名から生まれました。サザンカの学名はCamellia sasanquaで、属名は17世紀チェコの宣教師であり、東洋植物の大家の名に由来し、種小名は日本名のラテン語読みです。

巽聖歌作詞の童謡『たきび』の歌詞にサザンカが出てきますが、第二次世界大戦中、「たきびは敵機の攻撃目標になる」として、この童謡を歌うことが禁じられた悲しい歴史もあります。


薬用としては、種子に60%の油を含んでいるので、ツバキ油と同様に軟膏の材料に利用されています。葉を煎じた液は香りがよいことから洗髪に使われるほか、お茶と混ぜると甘味が出るといわれています。
花言葉は、白い花が「理想の恋」、赤い花は「高潔な理想」です。


出典:牧幸男『植物楽趣』